平昌五輪が終了しましたが、スキージャンプの解説では原田雅彦さんがされていましたね!
原田雅彦さんと言えば、やはりどうしてもリレハンメル五輪での失敗ジャンプを思い出す方が多いのではないでしょうか?
今回は、
- 原田雅彦wikiプロフィール!
- 原田雅彦と恵子夫人が離婚?離婚理由は?
- 恵子夫人と息子の現在は?
- 原田雅彦の現在の仕事は解説?
- 原田雅彦の名言は船木?
- 原田雅彦が失格?
について、お伝えします!
目次 [閉じる]
原田雅彦wikiプロフィール!
原田雅彦笑顔で接すれば、笑顔が返ってくる。 pic.twitter.com/fIaMAGnLyT
— 有名スポーツ選手からの一言 (@gyryxadofum) January 30, 2018
名前 | 原田雅彦(はらだ まさひこ) |
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生年月日 | 1968年5月9日 |
年齢 | 49歳(当記事執筆時) |
出身地 | 北海道上川町 |
出身校 | 東海大学付属第四高等学校 |
身長 | 173cm |
体重 | 60kg |
世界選手権成績 | 1993年ノーマルヒル個人金 1997年ノーマルヒル個人銀 1997年ラージヒル団体銀 1997年ラージヒル個人金 1999年ラージヒル団体銀 1999年ノーマルヒル個人銅 |
五輪成績 | 1994年ラージヒル団体銀 1998年ラージヒル個人銅 1998年ラージヒル団体金 |
原田雅彦さんは、小学3年生の頃からスキージャンプを始めました。
そして、上川中学校時代に全国優勝し、高校卒業後は雪印乳業に入社し、競技を続けました。
五輪には、1992年アルベールビル、1994年リレハンメル、1998年長野、2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノと、5回の五輪に出場しているんですね!
五輪でのメダルは、1994年ラージヒル団体銀、1998年ラージヒル個人銅、1998年ラージヒル団体金です。
世界選手権を含めると合計9個のメダルを獲得しており、これは日本人最多でまだ破られていないそうです!
最初に触れましたが、リレハンメル五輪では、金メダルがほぼ確定している状態で、よほどの失敗ジャンプでもしなければ大丈夫!という状況で原田雅彦さんは失敗ジャンプで、銀メダルに終わりました。
これが原因で原田雅彦さんは大バッシングを受けることになりました。
また、その失敗ジャンプ後は、原田雅彦さんは何とかいいジャンプをしようと努力していたんでしょうね!
きれいなフォームの船木選手を意識するあまり、逆にスランプに陥ってしまったのです。
しかし、それでも奮起して本来の自分のフォームを取り戻し、長野五輪では団体金、個人でも銅メダルを獲得できました。
原田雅彦さんは雪印乳業に所属していましたが、長野五輪後は「金メダルが獲れたのは、我が社の牛乳のおかげです!」とPRもしていたほど愛社精神が強かったのです。
雪印乳業といえば、過去に集団食中毒事件もありましたよね。
これが原因で雪印乳業が失墜するきっかけとなってしまい、経営が苦しくなり、各スポーツ活動からも撤退したのです。
しかし、スキージャンプだけは残してもらい、原田雅彦さんは競技を続けることができたのです。
原田雅彦さんは雪印のCMにも出てたんですね!
原田雅彦と恵子夫人が離婚?離婚理由は?

原田雅彦さんは恵子夫人とは離婚したのでしょうか?
長野五輪のときは、恵子夫人も原田雅彦選手を応援している姿がありましたが・・・。
実は、長野五輪後に、原田雅彦さんは「パパ、やったよ」という本を出しているんです。
この本は、金メダル獲得までの道のりや恵子夫人、子供たちと試練を乗り越えた自叙伝になっています。
そんな本を出しておきながら離婚したのでしょうか?(汗)
調査したところ、どうやら恵子夫人と離婚したのは本当っぽいです。
非常に残念ですね。
気になるのは、離婚理由なのですが、残念ながら特定には至りませんでした。
長野五輪では恵子夫人も応援に行ってたのに・・・。
恵子夫人と息子の現在は?

原田雅彦さんには子供が2人いて、1人は男の子ということが分かっています。
恵子夫人は現在どうしているのか分かりませんが、長野五輪のときは、今から20年前です。
このとき既に子供はいたので、現在では成人しており、社会に出ておられることでしょうね。
原田雅彦の現在の仕事は解説?
原田雅彦さんは選手を引退後も雪印に残り、雪印メグミルクスキー部でコーチをしています。
先ほども言ったお通り、愛社精神の強さの表れではないでしょうか?
また、平昌五輪ではスキージャンプの解説をしており、解説者としても活躍しているようですね。
原田雅彦が船木の名言?

金メダリストは、後で当時の発言が名言として紹介されることが多いですが、原田雅彦さんも名言を残しているようなんです。
その名言とは「船木」です(笑)何だよそれ!名言でも何でもないじゃん!とお思いでしょう(汗)
もっと正確に言えば、「船木」ではなく、「ふなきぃぃ」ですかね(笑)
この名言が飛び出したのは、長野五輪の時です。原田雅彦さんは1本目のジャンプで、距離が伸びずにリレハンメルでの悪夢がよみがえりました。
しかし、2回目のジャンプは137mの大ジャンプ!飛び終えた後に「ふなきぃぃ」という発言が飛び出しました。
ラストジャンパーの船木選手に祈るような気持ちで、こんな発言が出ちゃったんでしょうね。
相当なプレッシャーだったことでしょう。
その時の動画がこちらの3分20秒付近です。本人もまさかこれが名言として取り上げられるとは思っていなかったことでしょう。
原田雅彦が失格?

原田雅彦さんは、トリノ五輪個人ノーマルヒル予選で95mの記録でしたが、ジャンプ終了後、失格となりました。
何がいけなかったのか?
それは、スキー板が国際スキー連盟(FIS)が定めた規定に違反していたんです。
2005年に「身長に対して体重が軽すぎる選手のスキー板を短くする」というBMIルールがあったんですね。
つまり、原田雅彦さんが痩せすぎていたんです。
原田雅彦さんの身長は174cmでしたが、使用できる板の長さは身長は146%、つまり254cmまでと決まっていたんです。
ただし、スーツとブーツを着用した時に体重が61.0kg以上なければいけなかったんです。
体重が足りない場合は使用できるスキー板の長さは最大でも251cmというルールがあったんです。
原田雅彦さんは、この失格について、自分の勘違いで、五輪選手に選んでもらったのに申し訳ないと謝罪のコメントをしました。
まとめ
- 原田雅彦さんは恵子夫人と離婚したようだ。(離婚理由は不明。)
- 原田雅彦さんには子供が2人いて、1人は男の子。息子は現在は成人しており、社会人だと思われる。
- 原田雅彦さんは選手引退後は、雪印メグミルクスキー部でコーチをしている。また、スキージャンプの解説等もしている。
- 原田雅彦さんは、長野五輪での「ふなきぃ」が名言として語り継がれている。
- 原田雅彦さんは、「身長に対して体重が軽すぎる選手のスキー板を短くする」というBMIルールに違反し、失格となったことがあった。
いかがでしたか?
原田雅彦さんの顔って、眉が垂れ下がっていて、優しそうな感じはしますよね。
離婚理由、気になりますね・・・。
長野五輪の動画を振り返ると、恵子夫人も応援に駆け付けていたようですし、今となってはちょっと悲しいですよね。
現在は解説とコーチをしているということですが、選手の育成を頑張って、五輪で金メダルを獲れる選手を育成してほしいですね!