プロレス界のレジェンド・マサ斎藤さんが7月14日に亡くなったことが分かりました。
マサ斎藤さんは2000年にパーキンソン病を発症しており、闘病中でリハビリに励んできましたが、容体が急変し、帰らぬ人となってしまいました。
今回は、
- マサ斎藤wikiプロフィール!入場曲は?
- マサ斎藤の逮捕理由は?
- マサ斎藤は結婚してる?嫁や子供は?
- マサ斎藤の名言や伝説は?
- マサ斎藤が患った病気・パーキンソン病とは?
について、お伝えします!
マサ斎藤wikiプロフィール!入場曲は?
プロレスラー・マサ斎藤さん死去 76歳 パーキンソン病で闘病https://t.co/35lqnda3KN pic.twitter.com/0vnnX1OzAn
— LINE NEWS (@news_line_me) July 16, 2018
名前 | マサ斎藤 |
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本名 | 斎藤昌典(さいとう まさのり) |
生年月日 | 1942年8月7日 |
年齢 | 75歳 |
身長 | 180cm |
体重 | 120kg(全盛期) |
出身地 | 東京都中野区 |
出身校 |
明治大学卒 |
デビュー | 1965年6月3日 |
引退 | 1999年2月14日 |
信条 |
Go for broke(当たって砕けろ) |
マサ斎藤さんは、明治大学出身で、レスリング全日本選手権で、フリースタイル、グレコローマンの両ヘビー級で優勝し、1964年、東京五輪にも出場しています。(フリースタイル・ヘビー級3回戦敗退)
マサ斎藤さんは大学卒業後の1965年4月、日本プロレスに入門し、同年6月3日には高崎山猿吉戦でデビューしています。
翌年には日本プロレスを離脱し、豊登が興した東京プロレスに参加し、アントニオ猪木、豊登に続く3番手のポジションで戦い、一時は登記上の社長も務めました。
しかし、東京プロレスはすぐに潰れてしまい、アントニオ猪木さんらを除く大半の所属レスラーは国際プロレスに移籍する中、マサ斎藤さんはアメリカに渡り、フリーとしてプロレスを続けていくことを決意。
アメリカでは、ミスター・サイトー、または、マサ・サイトーをリングネームとし、ヒール役として活動しました。
1972年に帰国し、古巣・日本プロレスのリングに上がり、1974年4月からは新日本プロレスに参戦し、明治大学で同期だった坂口征二さんともタッグを組みました。
1978年暮れには、狼軍団を結成し、日本でもヒールに転向しました。
マサ斎藤さんと言えば、1987年に行われた巌流島で行われたアントニオ猪木さんとの決闘で有名ですね。
ノーレフェリー、ノールール、無観客で行われ、2時間を超える試合となり、アントニオ猪木さんが裸締めを決め、TKO勝利を収め、マサ斎藤さんは担架で運ばれました。
第一線を退いた後はワールドプロレスリングの解説やインタビュアーを務めていました。
1999年にはスコット・ノートンと試合を行い、これが引退試合となりました。
ちなみに、こちらがマサ斎藤さんの入場曲。
マサ斎藤の逮捕理由は?
マサ斎藤さんは、1984年4月にウィスコンシン州でケン・パテラが起こした器物損壊事件に巻き込まれてしまいました。
宿泊先でマサ斎藤さんと同室だったパテラを逮捕しようと部屋に警官が押し入り、マサ斎藤さんは警官数人をなぎ倒してして逮捕され、陪審員裁判で有罪判決を受けていたのです。
マサ斎藤さんは不服として現地の日本総領事館にたすけを求めましたが、受け入れられず、現地で1年半の刑務所暮らしをすることとなったのです。
マサ斎藤は結婚してる?嫁や子供は?
マサ斎藤さんは結婚しており、嫁は倫子夫人です。
実は、マサ斎藤さんは、倫子夫人との結婚で3回目で、3回目の結婚にして初めて披露宴を開いたのです。
このときマサ斎藤さんは53歳でした。
子供がいたのかどうかは情報が全くなく、掴めませんでした。
マサ斎藤の名言や伝説は?
マサ斎藤さんには名言や伝説があります。
結構プロレスラーって面白い人多いですよね(笑)
マサ斎藤語録が色々あるので、これは面白い!と思ったものを紹介しますね!
獄門鬼や監獄レスラーのニックネームで知られていたマサ斎藤さんはこんなやりとりがありました。
辻アナ「さあ!今日も季節は『地獄の門番』マサ斎藤さんです!マサさんよろしくお願いします。
マサ斎藤「あのさぁ、いつも思うんだけど、『地獄の門番』って何?」
辻アナ「・・・ということでマサさん」
辻アナ「やっぱり『獄門鬼』マサ斎藤の姿をリング上で見ないといけませんねぇ!」
マサ斎藤「ちょっとその『獄門鬼』ってのやめてほしいんだけど!」
面白いですね(笑)
さらに、巌流島でのアントニオ猪木さんとの戦いについて・・・。
田畑アナ「まぁ巌流島と言ったらここにいますマサさんに聞くのが一番だと思うんですけれども。」
マサ斎藤「あれはやらせでしたけど。」
解説でも・・・。
辻アナ「このバックドロップは受け身が取れない!」
マサ斎藤「取ってます、取ってます。」
辻アナ「雪崩式ブレーンバスター、遭難者1名!受け身が取れない!」
マサ斎藤「取ってますよ。」
辻アナ「・・・。」
マサ斎藤「受け身取ってますよ。」
他にも、マサ斎藤さんは独特の言い換えがあります。
- G1(じーあい)
- 現役(げんやく)
- WCW(だびゅっしーだぶゆ)
- WWF(だびゅだびゅえふ)
- AKIRA(のがみ)
- スコット・ノートン(すかっ・のーとん)
- ヘルレイザース(へうるういぇいざーす)
マサ斎藤が患った病気・パーキンソン病とは?
マサ斎藤さんはパーキンソン病で亡くなってしまったということですが、パーキンソン病ってどんな病気なのでしょうか?
パーキンソン病とは、円滑な運動を行うのに重要な役割を担う脳の一部に異常が生じることで発症する病気で、思ったタイミングで歩き出すことや、小刻みな歩行になること等の症状があります。
バランスが悪くなり、転倒してしまうこともあります。
パーキンソン病の患者の脳は、黒質の細胞が減少しており、ドパミンの作られる量が少なくなっています。
黒質で作られたドパミンは大脳の線条体で、脳の色んな部分と連携して働き、体の動きや働きを調節します。
しかし、パーキンソン病の患者は、ドパミン不足により十分な調節ができないため、体の働きに師匠が出るようになり、症状が出るのです。
パーキンソン病の治療としては、内服薬、リハビリ、手術、電気刺激治療法等があり、これらを組み合わせて行うことになります。
まとめ
- マサ斎藤さんが2018年7月14日に、パーキンソン病で亡くなった。
- マサ斎藤さんは、ケン・パテラが起こした器物損壊事件に巻き込まれ、同室だったパテラを逮捕しようと部屋に警官が押し入り、景観をなぎ倒して有罪判決を受けていた。
- マサ斎藤さんは3回結婚しており、現在は倫子夫人がいたが、子供がいたのかは不明。
- マサ斎藤さんには色んな名言や伝説がある。
- マサ斎藤さんが患っていたパーキンソン病とは、円滑な運動を行うのに重要な役割を担う脳の一部に異常が生じることで発症する病気で、思ったタイミングで歩き出すことや、小刻みな歩行になること等の症状がある。
いかがでしたか?
マサ斎藤さんってパーキンソン病を患っていたんですね。
脳の黒質の細胞が減少する病気のようですが、そもそもの原因って何だったんですかね?
脳に異常をきたす病気なので、もしかしてプロレスで頭に衝撃を何度も食らっているからなのかなとも思いましたが、どうなんでしょうか?
当時を知っているプロレスファンにとっては、残念でしょうね。
ご冥福をお祈り申し上げます。