プロ野球

江川事件とは?空白の一日の真相を分かりやすく!小林繁とトレード?

江川卓

江川事件ってご存知ですか?

2018年6月22日のオリックスvsソフトバンク戦で、ビデオ判定をしているにも拘わらず、誤審となった件で、NPBでは史上3例目となる提訴しました。

改めて続行試合の開催を求めているようです。

さて、この誤審問題がNPBで史上3例目ということですが、他には1978年の江川事件、2008年のパウエル二重契約問題があります。

パウエルの二重契約問題は記憶にありますが、私は江川事件については分かりません。

今回は、

  • 江川事件とは?
  • 江川卓の2度のドラフト
  • 江川事件の空白の一日の選手契約!
  • 江川卓の3度目のドラフト
  • 江川卓と小林繁がトレード!

について、お伝えします!

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江川事件とは?

江川事件とは、1978年のドラフト会議前日に巨人との電撃的な入団契約を結んだ、江川卓投手の去就をめぐる一連の騒動を言います。

江川事件は、他にも「江川騒動」、「江川問題」とも呼ばれています。

次の項目から具体的にどんな騒動だったのか説明しますね!

江川卓の2度のドラフト

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1回目(高校3年時)のドラフト

江川卓投手は、作新学院のエースとして、数々の記録を残して日本中の注目を浴びていました。

  • ノーヒットノーラン9回
  • 完全試合2回
  • 春の甲子園の大会通算最多奪三振記録

当然、プロからも注目されており、全球団のスカウトが江川卓投手の家を訪問していましたが、江川卓投手は大学への進学を希望していました。

当時のドラフト会議は、変則ウェーバー方式でした。

変則ウェーバー方式とは、指名順位をくじで決定し、1番から順に指名していく方式。

ドラフト1位指名では、指名上位だった大洋ホエールズ、南海ホークス、近鉄バファローズ、日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズは、江川卓投手は大学に進学するということで、江川卓投手を回避していました。

しかし、指名順位6番目の阪急ブレーブスが江川卓投手を1位指名しました。

江川卓投手は大学進学を変えず、阪急からの指名を拒否しました。

江川卓投手は慶應義塾大学への進学を目指していましたが、不合格となり、法政大学に進学しました。

2回目(大学4年時)のドラフト

法政大学に進学した江川卓投手は、大学でも1年目からエースとして活躍し、数々のすごい記録を残しました。

  • 通算47勝(史上2位)
  • 完封数17(リーグ記録)
  • ベストナインに6度選出
  • 通算奪三振数443個(当時1位、現在2位)

輝かしい実績を残した江川卓投手は、巨人への入団希望を表明し、巨人側も1位指名の方針で、相思相愛でした。

この年のドラフト会議も、4年前と同様、変則ウェーバー方式で、1番目はクラウンライターライオンズ、巨人は2番目の指名順でした。

クラウンライターは江川卓投手の指名回避に動いていると噂されていましたが、なんと江川卓投手を1位指名したのです。

クラウンライターは当時観客動員数に苦しんでおり、それを解消する切り札として江川卓投手を指名したのです。

しかし、江川卓投手は、福岡は遠すぎるという理由で入団を拒否しています。

江川卓投手は、巨人を希望してはいましたが、関東のセ・リーグの球団なら、巨人以外であっても入団するつもりだったようです。

当時、江川卓投手は、後に結婚した彼女がいて、遠距離恋愛はしたくないという思いで、福岡は避けたようです。

江川卓投手は、大学卒業後、作新学院職員という身分で、アメリカに野球留学しました。

社会人野球チームに入団すると、最低2年間はプロ野球入団が禁止されていたためです。

1978年、クラウンライターは、西武グループに球団を譲渡し、西武ライオンズとなりました。

そして、本拠地も埼玉県所沢市に移転しました。

これで、江川卓投手が懸念していた「遠すぎる」という問題は解消されましたが、それでも江川卓投手の気持ちは変わることはなく、西武は11月20日を以って交渉権を喪失しました。

そして、江川卓投手は2日後のドラフト対象選手として、再度指名を待つ身となったわけです。

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江川事件の空白の一日の選手契約!

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先ほど、西武は江川卓投手との交渉権は11月20日で喪失し、2日後に迫ったドラフトで再度指名を待つ身となったと言いました。

しかし、なんと11月21日、つまり、ドラフト会議の前日に、巨人が江川卓投手との入団契約をドラフト外の選手として、締結させたのです!

野球協約では、ドラフト会議で交渉権を獲得した球団がその選手と交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日と規定されていました。

ドラフト会議の前々日を以って西武の交渉権が喪失しているので、ドラフト会議の前日は、もう西武の交渉権はない状態というわけです。

野球協約では、ドラフト対象選手を在学生野球選手と社会人野球選手に限定するという解釈ができる文言になっており、野球協約の盲点を突いた契約というわけです。

これがいわゆる「空白の一日」というわけですね。

しかし、セ・リーグ会長はこの契約は無効とする裁定を下しました。

江川卓の3度目のドラフト

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巨人は、ドラフト会議をボイコットして反発しました。

巨人欠席の中行われたドラフト会議で、巨人の抜け駆け契約に抗議する形で、江川卓投手を指名する球団が複数現れました。

この年のドラフトは、複数球団による重複指名があった場合は、抽選という方式に変更されており、阪神が交渉権を獲得!

巨人側はあくまで江川卓投手との契約が正当なものであり、ドラフト会議も全球団が出席していないので無効だと主張し、日本野球機構の金子鋭コミッショナーに提訴しました。

巨人は、江川卓投手との契約を認めないのであれば、セ・リーグを脱退し、新リーグを作ることを公言し、前代未聞の事態に・・・。

そして、金子コミッショナーは、以下のように正式決定しました。

  • ドラフト会議ボイコットは巨人が勝手に行ったことなので、ドラフト会議の結果は有効である。
  • 江川卓投手と巨人による入団契約は認めない。
  • 阪神の江川卓投手に対する交渉権獲得を認める。

これで巨人の訴えを退けたように見えましたが、金子コミッショナーはこんな要望を強く提示しました。

江川卓投手と阪神は一度入団契約を交わし、その後、すぐに巨人にトレードさせる形で解決を望む。

えー!?って感じですよね(汗)

これでは、意味がないのでは?と思ってしまいますが、巨人にリーグを抜けられると、今後のプロ野球運営に支障をきたす可能性が大きく、「江川の巨人入り」という巨人の当初の目的を実現させることで、問題の解決を図ろうとしたというわけです。

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江川卓と小林繁がトレード!

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そして、江川卓投手と交換トレード要員となってしまったのが、小林繁投手でした。

江川事件の被害者と言えるでしょう。

これにより、江川卓投手は巨人入りを果たしたわけですが、また野球協約違反が指摘されました。

金子コミッショナーは、このトレードが協約違反であることを知った上で、強い要望を出していましたが、改めて違反を指摘され、強い要望を撤回し、両者は交換トレードではなく、小林繁投手は交換選手なしで阪神に移籍しました。

契約上は金銭トレードで、江川卓投手の契約金を巨人が全額支払うことで、相殺となったわけです。

なるほどなぁ・・・。

まとめ

いかがでしたか?

いつもは、最後に簡潔にまとめていたのですが、簡潔にまとめられないほど複雑なので、今回はなしです(笑)

なるほどなぁ・・・と思ったのですが、小林繁投手も1976年~1978年まで3年連続2桁勝利しており、活躍していました。

阪神に移籍後の1979年には、22勝でリーグ最多勝を挙げています。

これは意地なんでしょうね(笑)

江川卓投手との初対決は1980年8月16日に実現していますが、結果は巨人が5-3で勝利し、小林繁投手は負け投手となっています。

江川卓投手はかなり批判を浴びましたが、この江川事件によって、「エガワる」という「周囲をかえりみず強引に自分の意見を押し通すこと」を意味する言葉もできました(笑)

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