夏の甲子園では、負けたチームが甲子園の土を大量に持ち帰ります。
これはいつから始まったものなのでしょうか?
あんなに1人で大量に持ち帰ったらなくなってしまうと思いますが、どこから持ってくるのでしょうか?
今回は、
- 甲子園の土の持ち帰りはいつから?最初はいつなの?
- 甲子園の土はどこの土?産地やどこから持ってくるのか気になる!
- 甲子園の土の持ち帰りを沖縄は禁止だった理由は?
- 甲子園の土は持ち帰り後どうする?
- 甲子園の土はオークションで販売されてる?値段は?
について、お伝えします!
目次
甲子園の土の持ち帰りはいつから?最初はいつなの?
毎年夏の甲子園で、負けた球児たちが泣きながら土をかき集め、どんだけ持って帰るの!?というほど、スパイクを入れる袋に詰め込んでいるのを見ます。
当たり前のように毎年見ていますが、そもそも甲子園の土の持ち帰りはいつから始まったことなのでしょうか?
実はこれは3つの説があるのです。
- 第23回大会(1937年)で、決勝戦で敗れ準優勝に終わった熊本工業高等学校の川上哲治投手がユニフォームのポケットに入れて持ち帰った。
- 第28回大会(1946年)で、準決勝で敗れた東京高等師範附属中(現・筑波大学附属中学校・高等学校)の佐々木迪夫監督が、最上級生以外の選手たちに各ポジションの土を手ぬぐいに包み、持ち帰らせた。
- 第31回大会(1949年)で、準々決勝で敗れた小倉北高等学校の福嶋一雄投手が足元の土をユニフォームのポケットに入れて持ち帰った。
これら3つの説のうち、一番古いのが第23回大会の川上哲治投手がポケットに入れて持ち帰った説ですが、これが濃厚です。
・・・というのも、甲子園のホームページにはこんな記載があるからです。
甲子園の土を初めて持ち帰った人
川上 哲治(1937年、夏の23回大会)という説があります。
引用:阪神甲子園球場Q&A
甲子園の土はどこの土?産地やどこから持ってくるのか気になる!
甲子園の土は、負けた球児たちが大量に持ち帰るので、間違いなく補充をしているはずですが、どこの土を使っているのでしょうか?
この答えも、甲子園のホームページにありました!
Q.甲子園の黒土について教えてください。
A.
・黒土の産地
岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋、大分県大野郡三重町、鳥取県大山 などの土をブレンドしている。(毎年決まっているわけではない。)
・砂の産地の変遷
甲子園浜及び香櫨園浜社有地 ~ 瀬戸内海産の砂浜 ~ 中国福建省
・黒土と砂の割合
春は雨が多いため砂を多めに、夏はボール(白球)を見易くするために黒土を多くブレンドしている。
引用:阪神甲子園球場Q&A
毎年同じというわけではないんですね!
春は砂が多め、夏は黒土が多めと季節によってブレンドする割合を変えているというのも知りませんでした!
甲子園の土の持ち帰りを沖縄は禁止だった理由は?
実は、1958年に夏の甲子園で敗れた沖縄県代表の首里高校の選手が、甲子園の土を地元に持ち帰った時、海に捨てられた事件がありました。
当時の沖縄県は日本に返還される前で、アメリカの統治下にありました。
1958年には第40回記念大会として、大会史上初の全都道府県47校が出場し、開催されました。
首里高校は初戦で福井の敦賀高校と当たり、3-1で敗退しました。
首里高校の選手数人はビニール袋に甲子園の土を詰め、船で持ち帰りました。
しかし、那覇港で甲子園の土は没収されてしまい、海に捨てられてしまったのです。
アメリカの法律では甲子園の土は、「外国の土」ということで、植物検疫法に抵触し、持ち込みができないということになっていたのです。
今では、甲子園の土をかき集めて持ち帰る姿は当たり前の光景となっていますが、昔はそんなことがあったんですね・・・。
甲子園の土は持ち帰り後どうする?
甲子園の土を持ち帰り後、球児たちは甲子園の土をどうしているのでしょうか?
これは本当に持ち帰った球児ごとに異なると思いますが、いくつかパターンがありました!
- 甲子園に出場した記念として保管しておく。
- 自分の高校に帰り、グラウンドに撒く。
- 知人や友人、家族等に分けてあげる。
甲子園に出場した記念として保管しておくのは、個人に限りません。
部室に置いて、飾っているところもあるようです。
グラウンドに撒くパターンは、今まで自分がお世話になったグラウンドに感謝の思いを込め、後輩たちも甲子園に出場できるように、そんな思いを込めて撒くようです。
また、甲子園の土で植物を育てるというパターンもあります。
甲子園の土を最初に持ち帰った説の1つともされている小倉北の福嶋一雄投手は、持ち帰った土を植木鉢に入れたそうです。
甲子園の土で育った植物って何だかいいですよね!
立派に育ちそうです。
甲子園の土はオークションで販売されてる?値段は?
甲子園の土は持ち帰り後、記念に保管しておく、高校のグラウンドに撒く、知り合いにあげるというパターンがあることが分かりましたが、甲子園の土はオークションで売られているようです。
ただ、これは球児たちが試合に負けて持ち帰ってきたものではなく、限定で配布されたもののようです。
例えば、こちら。
これは第96回全国高校野球選手権大会の開会式で中央特別自由席、1塁特別自由席、3塁特別自由席の入場者限定で配布された記念品です。
箱も豪華で、これはかなりレアなアイテムですね。
6,500円とかなり高い値段で落札されています。
私はてっきり甲子園に出場した球児が自分で持ち帰った甲子園の土をオークションで販売している輩がいるのかと思って、びっくりしましたが、勘違いでした(笑)
ちなみにこの人は自分の私物を販売していたという噂があります(汗)
→大嶺翔太がメルカリやヤフオクで実使用グローブやバット・スパイク等販売で借金返済?
まとめ
- 甲子園の土を初めて持ち帰ったのは3つの説があるが、第23回大会(1937年)、決勝戦で敗れた熊本工業の川上哲治投手が濃厚。
- 甲子園の土は、岡山県日本原、三重県鈴鹿市、鹿児島県鹿屋市、大分県大野郡三重町、鳥取県大山等の土をブレンドしており、黒土と砂の混合割合は季節によって異なる。
- 1958年夏の甲子園で敗れた沖縄県代表首里高校は、那覇港で甲子園の土を没収されてしまい、海に捨てられた。これはまだ沖縄県がアメリカの統治下にあり、アメリカの法律で甲子園の土は「外国の土」ということで、植物検疫法に抵触するとし、持ち込みは不可能だった。
- 甲子園の土は持ち帰り後、記念に保管しておく、高校のグラウンドに撒く、知人や友人、家族等に分けてあげるパターンが多い。
- 甲子園の土はオークションでも販売されているが、球児たちが試合に負けて持ち帰ってきたものではなく、限定で配布されたものである。
いかがでしたか?
甲子園の土を負けた球児たちがかき集めている姿は夏の風物詩と言ってもいいぐらいですが、由来やどこの土か等を知っている人は少なかったはずです。
今年はどんなドラマが生まれるのか非常に楽しみですね!
私は白山高校に注目しています!
→白山高校(三重県)野球部の出身中学は?甲子園出場で寄付は大丈夫?